60歳の定年後65歳まで雇用が延長されるという再雇用制度がまだ世の中に定着していないころ、いち早く制度化したことを公表し先進の企業であることをアピールした会社に勤めていました。

当時、私は50代後半、そろそろ定年退職の適齢期、よし、これで先行き10年のめどは立った、後願の憂いなく年金生活に入れると思っていました。
ところがです。

会社員生活、30有余年、冷静な読み筋を売りにした私の思いを会社は許してくれませんでした。

年初の個人面談の際、会社より提示された話は究極の3択、2月までに再雇用制度に申し込みますか、それとも異動に手を上げますか、それもできないなら退職も視野に入れてくださいという晴天の霹靂もので、再雇用の場合、給与は三分の一に、異動は自分で見つけること、退職は自己都合でという厳しい条件が突きつけられました。

それから約半年、じたばた抵抗したのですがもはや玉の退路は断たれ投了を宣言、退職を選択することとしました。

今、思えば体のよい早期退職の勧奨、後から聞くと我々の年代を狙った決め打ちのリストラで非正規雇用の採用拡大を意図した施策の一環でした。

扱いは定年退職、退職のセレモニーもそこそこに翌日からの通勤先はハローワーク、幸い自己都合扱いでなかったため失業保険もすぐに出たのがせめてもの救いでした。

有効求人倍率も一倍を超え、世の中はアベノミクスの効果がそろそろ出始めたといわれたころ、ハローワークの専用端末に表示される案件は介護職、夜の警備の仕事、早朝の清掃業務、マンションや駐車場の管理人、シルバー枠も多くこれらの業種がアベノミクスを下支えしているのだなと妙に納得したものです。

そんな、画面を見る作業にも疲れ視線が泳いだ先に、「地産地消」という文字が目に飛び込んできました。

それは山積みとなったパンフレットのキャッチコピーの一部でした。

パンフレットを手に取ったところセミナーの案内で小さな文字で就業も支援すると書いてありこれからは農業に関する仕事もいいかもしれないなという思いがかすめました。

情報通信技術が生産性に寄与する可能性が大であり私のスキルが活かせるかもしれないと考えたからです。

前職はIT関係の業界におりましたので農業の世界はまだまだIT化が進んでいないブルーオーシャンであることを知っていました。

就職活動は煮詰まりハローワークの紹介状に基づき何社か履歴書を送ったのですが面接までに至らずお断りの連続、そのようなさなか藁をもすがる気持ちでセミナーに申し込みました。

早々に頂いた返事は応募者多数により残念ながら落選という通知、お断りに慣れた身ではありましたがセミナーまで落とされたのかとさすがにがっくりきたことを覚えております。

とは言えじたばたするのが私の行動パターン、すぐには諦めきれることはできません。

パンフレットに書いてあった何人かの講座の講師のアドレスにセミナーで使用した資料を分けてもらえないかとe-mailを送信しました。

そのうちの一人から資料の送付もさることながら一度お会いして話を聞きたいという返事をもらいました。

このセミナーの申し込みに落選したことが私と農業を結びつけるきっかけとなりました。

人生、なにが起きるか分かりません。

会って話を聞いてみると先方は農業のコンサルを専門とするスタートアップの会社の社長、実はIT技術を用いて農業の生産性を高めるための資料を作るというプロジェクトがありその要員を探している、当社で働いてみないかという面接の場になってしまいました。

私の懸念は給与もさることながら半年限定のプロジェクトでその先の雇用は働き次第というなんとも不安定な雇用条件でした。

スタートアップの会社の資金面は脆弱であり人件費はリスクになるという事情も理解できます。

ボールはこちらに投げられました。

先方は雇用延長という条件を提示し期間限定の採用者のモチベーションを確保する狙いがあるのではといううがった見方もできます。

さんざん迷いましたが私も還暦間近、失うものも少ない、雇用延長があってもなくてもこの業界で人的なネットワークいわゆる人脈をつくれば先の展開もあるかもしれないと覚悟し入社を決意しました。

入社後、全国各地の先進の農業施設や農業者を訪問しどのような形でIT技術を用い生産性を上げているか調査し持続可能な農業の実現という趣旨で資料作りに励みました。

充実した時間は楽しく実際の農作業も経験し農業が置かれた状況も肌で感じることができました。

また、提示された業務以外の仕事もこなし積極性をアピールしました。

楽しい時間はすぐに終わるのが世の常、契約期間もあとわずかとなったころ、社長面談にてあっさりと契約完了を言い渡されました。

当初から延長の線はなく私は過去の人となりました。

またも投了、その席で社長よりこんな会社があるのだけれど当たってみたらと世間話のように言われたのが唯一の収穫でした。

わずかな社名を頼りにここでもじたばたしてみました。

紹介された会社は農業法人で植物工場も運営しておりITがらみの職種に望みをかけ連絡先を調べ先方にコンタクトし採用担当に話をつないでもらいました。

残念ながら農業コンサルの社長から貴社を紹介してもらったというアプローチは奏功しませんでした。

後に確認したところ名刺交換程度の関係で影響力はさしてなかったというのが真相でした。

幸い採用担当には農業コンサル会社で得たITと農業の結びつきに関する経験が評価され正社員として採用の運びとなりました。

処遇は農業コンサル会社から見れば雲泥の差、厚生年金にも加入し年収も大幅アップとは言えIT業界にいたころの比ではありませんが、まずは安堵した次第でした。

おかげでさまでこの会社で定年退職を迎えることができました。

65歳までの再雇用も提示されましたが引き続きの単身赴任が条件のためお断りしました。

だいたい農業法人は田舎にあることが多くこの会社も自宅から通勤できないところにあり入社後は泣く泣く単身赴任で入寮生活の身でした。

農家の方からお叱りを受けそうですが60歳を過ぎて田舎の農業法人での単身赴任は心も体にもこたえます。

リストラさえなければ私の人生行路も紆余曲折の道を辿ることもなかったのですが、結局私の転職を総括するとキャリアアップの攻めの転職ではなく生活防衛の守りの転職でした。

私の意志に反し転職を余儀なくされ重い腰を上げたというのが実情です。

転職が私に与えた教訓があるとすれば「諦めず動いていればなんとかなる」ということに尽きると思います。

現在はパート社員の身、自宅から通勤しておりもう少し給料はほしいところですが当初の目標どおりなんとか65歳まで働けそうです。

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